笛吹きとして大切にしていること
若藤 良弘

はじめに…


笛をもう30年くらい吹いている。
自分のやっている演奏がどの程度の技量なのか、自分の笛の何が見ている人の感動や評価につながっているのか、数値で
表すことはできないが、今まで吹いてきた間、漠然と吹いているだけでは人様を感動させ、評価される笛は吹けなかったと思う。

子供の頃から先輩たちに教わりながら、他の上手い人の笛の手を盗んでは、自分なりにこの手はいいなとか、この手をこう吹くのがいいのではとか、こう吹くと他の楽器がどう変わるのかとかを絶えず考えながら演奏してきた。また、メンバー同士で話を
する中で色々な注文がでてきて取り入れたり、他のお囃子を
聴いたりして感じたことを取り入れながら、少しずつ変えてきた
ものもある。
そして何より、様々な出演先でお囃子を見ているお客さんの
表情や身体を動かす様子等、実際の反応を絶えず見ながら
お囃子を演奏し、技術を向上させることを意識してきた結果である。
お囃子はここで完成というところがなく、演奏する人の感性や
表現によって絶えず変化するものであるし、今吹いているもの、教えているものが正しいのか常に疑問をもちながら、ただし、
今まで自分が教わり考えて演奏してきた中で、自分が実際に
経験してよかったことや、うまくいったことを自分の芯となるものとして持ち続け、それを伝えていきたい。


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一つ一つの指をごまかさないで吹く




笛の指導をするとき、単純ではあるが、とにかくひとつひとつの音を正確に出せ、一瞬の指でも不発は出すなと言っている。ひとつひとつの指の動きが点だとすると、その点の集合が一つの文句=線となる。
点がひとつでもなくなると、線が途切れてしまう。厳しくいえば、ごまかして吹いていることになる。
ここができないと、いくら指を細かく動かして節をつくったり、強弱をつけたりしても、歯の抜けたようなスカスカな笛になってしまう。指はしっかり押さえ、しっかり離すが基本である。















ひとつの文句を教わったら





笛の文句は10なら10が全く別のものではなく、曲にかかわらず共通している文句や節回しがでてくる。一つの文句を教わり、一つの節回しを習得したら、それを他の文句にも応用してみる。
絶えずそういう癖をつけておくと、ちょっとした文句や節まわしを身につけただけで色々な場面で活かすことができる。言い換えれば、教わった文句一つ、習得した節回し一つを応用することで、自分の笛の幅が2倍、3倍に広がるのである。



















腹筋を意識しろ




笛を吹くのに肺活量が必要であるのは当然であるが、笛を吹くためにもう一つ重要なことがあると感じている。腹筋である。普通、笛を吹くときに息をたくさん吸えば、それだけ長く笛の音をのばせ、強く吹けると考える。では、細い音や小さい音を
ずーっとのばしたり、音を瞬間的に切ったり、音の強弱をつけたりすることは単に息をたくさん吸う、吐くだけでできることだろうか。自分の経験上では、その動作をコントロールするのは腹筋の力であると感じている。

笛が鳴らないときは必ずといっていいほど、腹筋に力が入らないときである。
そういう時は息をたくさん吸ったつもりがあまり吸えてなく(身体自体が固まって思うように動かず、吸おうと思っても吸えないときもある)、結果的に吹く息の量や力も弱くなってしまう。
お囃子以外に、学校のクラブ活動でスポーツをやっていた時は、体力的にはそれなりに鍛えられていたため、あまり意識していなかったが、社会人となって以前のような運動をしなくなると、明らかに感覚として笛が「吹けていない」と感じることが多くなった。笛を吹くこと自身が腹筋を鍛えることにもなると思うが、常に腹筋を
意識して吹くことが非常に大事だと感じている。














週3回練習があるけれど





週3回練習があると、いかにも練習がたくさんできると思われるが、笛に関していえばそれは当てはまらない。一人がずっと練習の間吹いているわけではなく、普段はメンバーが交代で吹いたり、まったく笛を吹かなかったりするときもある。

笛の習い始めはもちろん、指を覚えてある程度吹けるようになってからも、できれば毎日吹いたほうが良い。例え事情があって吹けなくても、笛をもって指を動かすだけでも良いと思う。なので、練習日以外の残り4日はどうするのか。自分は自宅で近所に迷惑にならないよう小さな音で(時には近所に聞こえるくらいの音で)吹いた記憶がある。

自分が吹いていて納得のいかない手、いつも音が出ないところや、スムーズに指が動かないところ、また、人から盗んだ文句やたまに自分で作った文句等をじっくり
練習した。もちろん、太鼓に合わせた練習はできないが、たまに、どうしようもなくて隣の部屋にいる兄貴に手で太鼓の文句をたたいてもらい合わせたりもした。
こうして、自宅で練習したことを、練習日に実際に太鼓と合わせてみる場とし、また、練習で教わったことや思ったことを、自宅で練習してみる。この繰り返しがうまくなる方法の一つだと思う。練習場での練習だけが練習ではないし、それだけでは決して上達しない。















一瞬を真剣に、感覚的に盗め





最近は小型で高性能のビデオカメラが普及したおかげで誰もが気軽に映像や音を記録として残せるようになった。お囃子の出演先でも、一般の人やいかにもその筋の(お囃子をやっていそうな)人などがビデオカメラで演奏や踊りを撮影する姿を見かける。

私が子供の頃は、ビデオやテープレコーダー(今は死語かも)すらも持っていなかったので、その当時、他のお祭りなどへ出かけた時はとにかく真剣に見るしかなかった。笛が上手いといわれる人の笛や、自分がいいなと思った笛の文句は、これを逃すと一年は見ることができないと思い、とにかく一つでも二つでも盗もうと自然と真剣に見るようになった。

また、見る以外にもメロディを記憶の中にとどめ、それを反復して唱えた。
わからない指はとにかく同じ音になるものを見つけて当てはめた。あとで記憶が
違っているものもあり、吹いているうちに盗んだ手とは微妙に違うものになってしまい、中途半端にオリジナル化されてしまう手もあった。結果の良し悪しは別にして、その行為は、その後自分がお囃子をやっていく上で非常に良い訓練になったと
思っている。

今では自分たちのお囃子の手が他のお囃子連に盗まれ、真似されるような立場になったが、先ほども書いたとおり、ビデオ等で気軽に撮れて、後で何度も繰り返し
見たり聴いたりできる便利な時代である。昔と違って、自分たちのお囃子が簡単に盗まれ真似されることが多く、しかも真似されるまでの期間が短いような気がする。さらに、文句といい、節まわしといい寸分狂わず真似されて(時には自分が失敗したところまでも真似されて)いることに驚くとともに、それだけ熱心に研究をしているのかと感心させられる(うちのメンバーもこれくらい真似してもらえるといいのだが...)。その反面その大半が、うまく言えないが、こちらが苦労して得た音色や表現力の欠けた“上っ面”のお囃子に聞こえてしまう。誰でもが簡単に録画して、少なくとも表面上だけはコピーできる時代になったが、演奏する人の考え方や気持ちは
コピーできないし、苦労を真似できるものではない。

自分としては、小さい頃からやってきた方法で、良いと思うものをその瞬間瞬間で真剣に見て聴いて感覚的に覚えることを続けていくし、そういうやり方を薦めたい。そして、盗んだ手は単にコピーするのではなく、自分なりに時間をかけて手を加えていくほうが苦労した分、音色や表現も味のあるお囃子ができると思う。













お囃子以外の音楽を聴くときには…





お囃子以外の音楽を聴く場合、ただなんとなく聴くのではなく、演奏しているそれぞれの楽器に注意して聴いてみることにしている。その楽器がどのタイミングでどのように奏でられているかとか、それぞれの楽器やコーラスが音楽全体にどう関わって、何を表現しようとしているのかをいろいろ考えながら聴くと、結構おもしろいし勉強になる。
そこから、自分の演奏に何か役に立つものやヒントが隠されていることもある。
お囃子をやっていると自然とそういう聴き方をしてしまうに違いない。