踊りに対する私の考え
津田 絵美子

踊り
(ここでの踊りとは、仁羽のひょっとこ踊りのこと)

小学生のときから教わってきたお囃子も、いつの間にか社会人になり、自分が教える立場へと変わってきた。自分のことだけを考えて一生懸命教わり練習して、言われた通りに踊る出演が、今では新しく入ってきた子供達に礼儀や技術を教え、出演では自分で考え、全体を見ながら子供達をサポートする役割も担うようになった。
楽器とはまた違う奥深さがある踊りに、まだまだ自分の研究
不足、練習不足を感じながらも、子供達に教え、ともに練習している。ひとつひとつの出演はまるで生き物のようで、「絶対」がない。「こうすれば絶対にウケる」「こうすれば間違いない」というものがない。そういった出演をたくさん経験したなかで、自分なりに踊りへの考え方を高めてきた。自分にできることは何か、自分に教えられることは何か、常に考えながら実践し、反省し、その
繰り返しでやっている。
いま現在、どのような考え方で踊りをやっているのか、いくつかのテーマで書いてみた。





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踊りの指導は何をイメージして、
どのように教えているか





練習で子供達をみるときは、昨日の練習よりうまくなったか、ということではない。自分と一緒に出演に出て、舞台を成功させられることができる踊りをしているかどうか、という視点でみる。それを基準にして、前回言った注意が直っているか、腰がおりているか、指先がのびているか、などのポイントをみていく。ただそれだけの注意だと全員が同じような踊りになってしまうので、あくまでも腰をおろす、指をのばすなどの基本的な部分は踊りの土台作りと考え、それらをしっかりやらせたうえで、その子の個性を出すように工夫させる。

そのとき自分がやっているような踊りは教えない。自分とは背丈も体格も違う子供達には、自分とはまったく違う個性を引き出し、一緒に出演にでたときの舞台でのバランスも考える。舞台で絡んだとき、どれだけ面白い舞台を作れるか、そのためにはひとりひとりがどれだけ踊りの個性をはっきりつければ良いかということを考える。その子の良いところは思いきり伸ばし、より生かせるような踊り方を教える、だから基本的な部分以外は誰ひとりとして同じ注意や教え方はなく、それだけ教える側はひとりひとりをしっかり見てあげて、責任を持たなくてはならない。その子の踊りを良くするも悪くするも、教える人の技量に関わってくるので、常にその責任感を感じながら緊張感をもって教えている。

教え方も自分なりに工夫している。ただ体を動かしているだけの子には、例えで細かく舞台設定をしてあげて、こういうときはどう踊る?と舞台を想像しやすくして教える。また、自分の経験談もよく話すようにしている。こういう舞台でこうしたら盛り上がった、こうしたら失敗した、ということを話し、同じ出演は二度とないからこそ、疑似体験させるように話している。

腰を下ろして、指先をのばして、足をしっかりあげて…というような踊りでの当たり前の土台作りの部分は、厳しく、とにかく厳しく、体にしみつくまで注意し続け、反復して練習させる。そして、かならず最後には、そういった土台作りを越えて、ひとつ上の踊りをするようになれば踊りの楽しさが生まれることを伝える。そうしないと同じことで怒られてばかりの練習では、踊りがつまらない苦痛なものになってしまうからだ。子供だからといって甘くしない、でも子供が理解できないほど怒りすぎない、ちゃんと理解しているか表情をみて、こんなに厳しい練習でも踊りが楽しい!と思わせる、そして厳しい練習を乗り越えたらこんなに見ている人が喜んでくれた!と感じること、それが子供達の上達への一番の方法だと思う。
















自分の踊り





では、自分はどのようにして踊っているか。私の体格はあまりがっしりしていなく、細めで、指や腕も細長く見える、踊りに不利な体型である。まず細めの体型は衣装の着方でカバーする。衣装のたつけを下のほうで履き(今でいう腰パン)、上は膨らませるようにして太さをだす、髪の毛は女の子とバレるおだんごを目立たせない。踊りでは腕の長さを強調してしまうので、あまり腕を前に伸ばさず、脇をしめ、腕を動かさず肩をつかって踊る。お面は細めの体格に合ったひょっとこをかぶり、子供の面倒を見ながら踊ることが多いので若すぎない顔のものを選ぶ。笑い面のときも同様である。指先に力をいれ、手の甲の筋をだして女らしさを消す。これは以前、先代会長に「お前の手は力を入れると血管がでて、男っぽくて良い」と言われたからだ。それ以来、手の甲、指先にはさらに意識するようにしている。指先は伸ばしすぎないで、少し丸みをもたせる。

これは基本的な考え方で、踊りは舞台によって生かす部分を変える。たとえば、見ている人と距離が近く、子供がたくさんいるときは、ひょっとこらしさを生かしてちょこちょこと動き、少し若めに、わざと子供達にちょっかいをだすようなイタズラっぽい踊りにする。逆にお年寄りが多いときには、お面や衣装がよく見えるように、そして田植えの仕草や、昔の人の仕草をいっぱい取り入れ、ゆっくりじっくり踊って昔の風景を思い出して、思わず笑みや手拍子がでるように踊る。

舞台が高く、見ている人と少し距離がある舞台では、細めの体格を生かし、足を開きすぎず、ひょっとこらしい動きをして、怒り面のメンバーの踊りとの違いをつくる。また舞台の上では手拭いなどを使って踊ったり、離れて見ていても飽きないように心がける。

このように見ている人、舞台形態、一緒に踊るメンバー、楽器の演奏、出演時間などによって、踊り方ひとつひとつを変えていく。「絶対に盛り上がる」という踊り方はないが、自分の経験からの一瞬の状況判断と、「見ている人に楽しんでもらうには」ということだけを考えて踊り方を変えていく。このように考えていても、毎回できるとは限りません…。















小さい子供と踊るとき




うちには小学校低学年にして、第一線で出演にでている子供達がいる。もちろん、そういう子達が見ている人に一番喜ばれる。だからその子達と踊るときは、自分の踊りを主張しすぎないようにする。しっかり自分の踊りをしながらも、その子達のフォローをして一番盛り上がる方法を考える。

まず小さい子達は、より小さく見えるように、より可愛らしく見えるようにする。小さいからこそ登場したとき映えさせる。子供達には特別なことは教えない、ただ腰をおろしてしっかり踊りながら歩いてくる子を、私達がどう映えさせるか、目立たせる演出、タイミングを考えて登場させる。

踊りは対照的にと考える。小さい子達の踊りに対して、じっくり面倒をみるように、あまり動きすぎず、父親や兄のような存在として踊る。くっつきすぎて邪魔しないように、でも何処へ歩いたら良いのか、どうしたら良いのか分からなくならないように離れすぎずに踊る。これが今でも一番難しい。お互いの踊りをだめにしないよう、二人で踊ることで二倍にも三倍にも効果があるように踊るのは、いまでも大きな課題である。階段の上り下りを助けたり、こっちに来るように呼んだりするのは、踊りの一部として自然に行う。踊りだからといって、ぎこちなくするのではなく、日常生活の普通の動きとして踊ることで、見ている人にはまるで二人のやりとりが話し声まで聞こえてくるかのように見え、面倒をみてもらっている小さい子がより可愛く見える。

小学校高学年ぐらいになると、ある程度「自分も何かしなきゃいけない」という自覚がでてくる。そういう子にはちゃんと打ち合わせをして、舞台で絡んでみる、さらに練習でこの前よりもっと楽しませる演出はないかな?と課題を与えて、また出演でやってみる。そうやって徐々に舞台づくりに参加させ、「自分が、見ている人を楽しませなければいけない」という気持ちを、子供のうちから持てるようにしている(あくまでも、私個人のやり方です)。














舞台を『ひとつの絵(画)』と考える





出演の舞台は様々で、どんな場所か事前に見られるときもあれば、踊りで出るまで分からない(出たとこ勝負!)ということも、よくある。どのように舞台を使いきったら良いのかという判断には、経験も必要となってくる。ただ基本的な考え方は(会長に教わったことだが)、舞台を額に入っている、『ひとつの絵(画)』と考えることである。みんなの踊る場所のバランスや、ここぞとキメるときの角度まで考え、そしてただ全員が踊って動いているだけでなく、何処かでまとまったものにしなければならない。どんな舞台でも、これを常に意識している。

ホールのような高さのある舞台で、見ている人が座席にいるときは、距離があっても楽しめる踊りをする。どちらかというと「見せる踊り」を意識して、離れてみるからこそ分かりやすい手を使ったりする。ずっと小さい子が真ん中で踊っていれば良いかというと、そうでもなく、飽きられないように前後左右、舞台を思いきり使って『画』を作らなければならない。だからといって動きすぎても良くないし、こういう舞台では、ひとりひとりの高度な技術がさらに求められる。ここで人がずっと見ていられる、思わず見入ってしまう踊りをできる人は、かなりの踊りの技術をもっていると思う。

見ている人の目の前で踊れるときは、ひとりずつじっくり丁寧に接しながら踊るようにしている。ノッている人や、喜んでいる子供のところに行って一緒に踊ったりして、その人だけではなく、それを見た周りの人も笑ってしまうような盛り上げ方も考える。

ときにはノリノリの人を引っ張りだして、お面をかぶせ、一緒に踊ってしまうこともある。日本人は照れ屋だから(外国の方はほとんど自分から喜んで舞台にでてくる)、無理にそういうことはしないが、踊りだす人がいると会場はたいてい盛り上がる。でも、その踊らせるタイミングや、その人しか踊らずに終わってしまうなどフォローを間違えると、失敗することもある。どのようにすればさらに盛り上がるのか、経験も必要だし、見ている人を踊らせるとなると踊りのメンバー同士の連携も必要になってくる。こういう時も、こうすれば良いというものがないので、一回一回の出演が本当に勉強である。

また、子供達にも教えているが、どんな舞台でも目の前の人だけではなく、自分対大人数の人が見ていることを意識することが大事である。自分が左側の人を見ているからといって、右側の人を忘れてはいけない。みんなが自分を見ていると考えて、どの方向から見ている人にも飽きられないように、踊り方を工夫しないといけない。よく子供で、何度も同じ手や同じ動きで人を笑わせようとする子がいる。それでは、一度見た人は、また向こうで同じ踊りをしているなぁと、ずっと見ていると飽きてしまう。常に違った動きでの笑わせ方を考え、自分は何処からも見られている、どんな瞬間も見られていると意識し、ひとつひとつの動作を丁寧に大切にしなければならない。

ただ踊ってくるのではなく、出演時間内で、見ている人の反応に合わせ、そのときそのときで(多少、打ち合せと動きが変わったとしても)、自分で臨機応変に判断し踊らなければ、盛り上げることはできない。だから「絶対に」成功する舞台というのはないし、どんなに踊りのキャリアがある人でも、毎回の出演が勉強になるのだと思う。私も一回一回の出演での反省を大切にし、そこで得たものを次の出演や子供達の指導に生かして、さらに良い舞台を創りたいといつも思っている。