音合わせ


 大胴はビスで留めてあるため音を自由に変えることはできませんが、つけ太鼓はボルトを締めたりゆるめたりすることで音を調整することができます。ただ高音と低音に分けるのではなく、微妙な音程の違いや、音の響き方にも注意を払って調整しています。ボルトを締めて(ゆるめて)は叩き、音のバランスや響き方を確かめながら合わせていく作業を音合わせと言います。

 『太鼓は音が鳴れば良いのかっ!』と昔、先代にはよく怒鳴られました。練習日に、ゆるんだナットを締めて、調べ太鼓を叩く...『ダメ!ダメ!』と時計を見ると音合わせで2時間半。やっと合ったと思ったのもつかの間、『じゃあ今日の練習は終わり。太鼓ゆるめて。』の一言。練習日にはこんな音合わせだけの日々がかなり長い間続きました。

 祭はやしコンクールでは、「貫井の太鼓の中には何か仕掛けがある!太鼓をバラして見せろ。」なんて真顔で言う審査員もいたくらい、こだわってきました。

 『機械をまったく通さない音なのだから、機械を通したものよりも良い音に仕上げろ。』ということが今では当たり前になり、場所、天候、時間までも考慮して音を合わせられるようになりました。ちなみに練習で2時間半も音合わせをして先代に怒鳴られ音を叩き込まれたのは、現在、30代後半から40代前半の大人メンバーが小学校高学年のころでした。








わらべ歌について


 貫井囃子では、わらべ歌を曲中でいくつか入れています。その始まりは、『お囃子のコンクールでの挿入歌として何かないか?』ということから、曲に合うものとして考えられました。始めは「流儀にないものを入れて邪道だ」などと言われましたが、今ではそう言っていた人達も吹いています(笑)。

 私たちは、たかがわらべ歌というのではなく、聴いている人が目を閉じてその風景、景色が想像できる、そして昔やふるさとを少しでも思い出し、懐かしさを感じてそのときだけでも気持ちが優しくなれる、そんな笛の吹き方を指導しています。今でもメンバーは各自、演歌、民謡、わらべ歌のCDを聴いて、日々研究しております。








流儀とは


 お囃子連の方々とお話するなかで、流儀の話がでてきます。私たちの目黒流に関して言いますと、目黒流の団体と流儀の特徴を話しても、どの団体もすべて言うことが違います。同じ目黒流といってもすべてが同じ曲目、叩き方ではありません。師匠が違うので仕方がないこととは思いますが、自分でも何が本当の目黒流かは、正直、分かりません。しかし、昔からの歯切れ良く、誰が聞いても浮かれてしまうというお囃子(当たり前のようで、なかなかできない)、それが目黒流という流儀の本質と確信し、日々精進したいと思っております。

 私たちも今後10年、20年とお囃子を後世に残し、伝承していく中で、『目黒流をやっていて良かった!』『目黒流をやってみたい!』と思ってもらえるような流儀にしていけるよう、努力していきたいと思います。







貫井の指導


 様々な場所で演技を披露しているため、それを見て「私(僕)もお囃子をやりたい!」と保存会に入ってくる子供がいます。なかには大人の方が入ってくることもあります。私たちの練習では、子供でも大人でもまず始めに徹底的に踊りを叩き込みます。これは貫井囃子のリズムを体で覚えていくのに大切なことです。リズムを覚え、しっかり踊れるようになったら舞台にたつことができるのです。

 たとえ入ったばかりの子供だとしても、小さい子供がお面をかぶって踊るととても喜ばれます。小さい子供を出せば、かならず『可愛い』とウケるのは当たり前です。しかし、その可愛いと言われる年月も短く、少しでも体が大きくなると可愛いと言われることはなくなります。子供もチヤホヤされなくなるということには敏感で、一時的にやる気をなくしたような態度になります。そして、そこからが指導する者が一番苦労するところです。子供だからといって甘くしすぎることも、厳しくしすぎることもできませんが、なんとか、『可愛い』からワンランク上の『うまい』と言われる踊りに変えなくてはなりません。

 今日では踊りのモデルになるお百姓さん、田んぼ、畑が少なくなりました。そのため、教える者は田畑がある場所まで車を走らせ、農家の人々が仕事しているしぐさ(特に腰の曲げ方を重点的に)などの光景を頭に入れてから教えます。そうすることで、子供にも分かりやすく教えられるような気がします。また、指導者にも良い勉強になります。

 踊りでリズム感が良くなってくると、次は太鼓の文句(太鼓のリズムを言葉で表したもの)を覚えさせます。何度も何度も棒読みではなく、感情を込めて読ませ、覚えさせます。ここで棒読みでも読めるようになったと大人が褒めてしまうと、いざ楽器を演奏したときに強弱のないお囃子になってしまいます。強弱と一言でいっても、み
んなこの音の強弱、音色で苦労しているのでしょうね。








週三回の練習 一回一回が本番と同じ


 お囃子は、ただ5人で演奏するだけでは自分だけが楽しむお囃子になってしまいます。その5人がお互いの性格、個人の癖(この人なら、こうくるだろう)などを先に読みながら演奏すると、自然と仲間同士で笑みがこぼれて、まとまった音のお囃子ができあがります!これがお互いの信頼感だと思います。この信頼感がないのに演奏すると、お互いに足の引っ張り合いになり、音がまとまらなくなり、観る人、聴く人にも不快感を与えてしまうでしょう。

 しかし、この信頼感をつくるのは簡単なことではありません。週三回の練習で技術を磨くことはもちろんですが、全員が本番と同じ気持ちで練習をしなければ、お互いの性格や文句の癖をつかむことはできません。そのため、貫井の練習では全員が一回一回の練習を本番と同じ気持ちで望んでいます。

 本番と同じ気持ちで練習に望むのは、信頼感を築くことだけが目的ではありません。当たり前と思われるかもしれませんが、「練習なのだから・・・」という気持ちで練習していると、人前で見せるときに極度の緊張感が襲ってきて、練習のとき以下の技術しか出せません。一回一回を本番と同じ気持ちでやることで、絶えず良い緊張感をもって、いつどんな場所で披露するときでも全力が出し切れるのだと思います。

 このような考え方で、貫井囃子では練習も本番も同じ気持ちでやりなさいと教えています。小さな子供も練習中は目がしっかり教えている者を見ていますし、耳も小さなうちから肥えてきていると思います。しかし、お囃子の技術を教えるのだけでも大変なのに、習う者達の気持ちを動かし『なるほど。』と思わせたり、『いま僕は(私は)何を言われたんだろう?』から『そうか!』と答えを導いてあげなければならない教え方をするというのも指導者にとって、かなりのプレッシャーです。このプレッシャーは大人(指導者)にとっても、ものすごい勉強になります。これからも”練習も本番”という考え方で指導していきたいと思います。